「お給料は我慢料」というふざけた言葉は受け入れない方が良い

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多くの日本人が知っている格言の一つに「お給料は我慢料」という言葉が存在しますが、私はこの言葉が大嫌いです。

美輪明宏さんは「仕事で貰う給料=我慢料」だと述べたことがありますが、私はこの言葉は絶対的に否定します。


出典 nichigopress.jp

確かに、サラリーマン生活を行っているとしんどいことや理不尽なこともあります。訳の分からないことを言われて辟易することもあるでしょう。そういう意味で「お給料は我慢料」だということを述べているのだと思いますが、私はこの考え方自体が嫌いです。

なぜお給料は我慢料という言葉が嫌いなのか?

それは完全に被害者意識で仕事をしているからです。

そもそも今の仕事を行おうと思ったのは自分であり、我慢して仕事を続ける必要なんて全くないのです。更に言えば「お給料は我慢料」とか言っている時点でその仕事を楽しんでいませんし、我慢しながら仕事をしてもお客様や関係者は不快になるだけだからです。

あなたは我慢して仕事している人に髪を切って欲しいと思いますか?

仕事を楽しみ、お客様に喜んで貰おうと心がけている美容師と我慢してお客様の髪を切っている美容師、どちらの美容師に髪を切って欲しいと思うでしょうか?

多くの人は後者だと答えます。

理由は単純で、「嫌々我慢して仕事をしている人からサービスを受けても嬉しくない」からです。

これはどの仕事でも同じ内容を言うことができ、仕事を楽しんでいる人と我慢して仕事をこなしている人とでは大きな差が存在するのです。

私は当サイトで何度も述べているのですが、仕事を我慢している人が仕事を楽しんでいる人に勝てることは絶対にありません。苦労、我慢なんて美徳でもなんでもないのです。苦労、我慢している時点で「仕事を楽しんでいる人には勝てない」という現実を見つめるべきです。

苦労、我慢は悪です。

お給料は我慢料というクソみたいな言葉はなぜこんなに広まっているのでしょうか?

それは多くの人が自分の仕事を嫌々こなしているからでしょう。また、仕事で我慢することが多いからでしょう。しかし、仕事は人を喜ばすために存在するので、「人様に喜んでいただくこと」に意識を向ければ「仕事を我慢する」というふざけた考えは絶対に生まれてこないのです。

お給料は我慢料とか言っている時点で、「労働力の対価として賃金を受け取っている」という形式で仕事をしていることになるのです。それはそれで正しい仕事の仕方ですが、時間の切り売りと同じです。

人生は仕事をしている時間が大半が占めるのに、そんな考えで幸せになれるわけがないでしょう!

仕事は生きがいややりがいにもなり、ただの労働にもなる。

生きがいとして仕事をしている人と、ただの労働として仕事をしている人、どちらの人からサービスを受けたいでしょうか?

どちらの人と仕事をしたいと願うでしょうか? 

仕事を作業だと捉えている人と一緒に仕事をしたいと望む人がいるでしょうか?

「お給料は我慢料」とか言っている時点で自分で仕事のやりがいを見つけることを放棄し、誰も喜ばないクソみたいな考えを身につけている証明になるのです。少しでも建設的に仕事を楽しもうと思っていたら「お給料は我慢料」というような腐った言葉はでてきません。

この言葉は本当に腐っているのです。

こんな言葉が存在するから、「仕事は辛いものなんだ。我慢したから給料が貰えるんだ」と考える人が増えるんですよ。

仕事は我慢の産物であり、給料も苦労の対価として受け取るものという発想が増えれば増えるほどこの世の中は悪くなります。なぜなら我慢して生きて幸せになれる人なんて一人もいませんから。

「お給料は我慢料」とか言っている時点で仕事に対するプロ意識は皆無であり、そもそもその仕事は天職ではないことが分かります。我慢しなきゃお金が貰えないという時点でどうかしていると思いますが、一番厄介なのは建設的に仕事を楽しむことができないから「我慢」という言葉を利用して諦めの境地に至り、何ら改善することも見せない点でしょう。

つまり、「仕事は我慢すべき」だと考えている時点で「我慢」に意識が集中するため、建設的な改善案なんか生まれないのです。

逆に仕事を楽しんでいれば「より良くしよう」と考えたり、「もっと楽しめるための工夫をしよう」と思ったりすることが可能です。仕事には建設的な思考が必要不可欠になるのです。

しかし、「我慢」という何ら生産性のない思考にとらわれていると、何の発展も期待できません。こんなふざけたことを言う人材が多い会社、こんなアホなことを言う経営者に投資するのは大変危険なので、あなたも覚えておいてください。


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