なぜ日本は自己満足的な教育が多いのか

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日本の教育システムは未熟な部分が多々あり、「必要な教育を行わないで不必要な教育を行う」というのも珍しくないのです。

例えば金融教育は先進国、グローバル社会に生きる我々にとって必須となる教育ですが、未だに義務教育で金融教育は実施されていません。これは必要な教育を行っていない証明であり、日本が未だに投資先進国になれない原因であるのは明らかです。

さて、義務教育で行われる自己満足的な教育とは一体どのようなものでしょうか?

例えば運動会の組体操などが挙げられます。


出典 www.hyogo-c.ed.jp

組体操は運動会を彩るための種目として存在していますが、実は組体操で起こる事故は大変多いのです。1983~2013年度の31年間に、学校の組体操において障害の残った事故が88件発生しており、死亡事故も報告されています。

つまり、組体操は死亡リスクがある危険な運動であるのにも関わらず、未だに義務教育で実施されているのです。

なぜ組体操というどうでも良い運動をやらなければいけないかというと、「感動を味わってもらう。皆で協力して組体操を成功させ、チームプレーの大切さを学んでもらう」という名目があるからです。

日本の教育は「和」を重視しています。

協調性を学ばせるために集団教育を行い、皆横並べの教育を施しています。それは別に良いのですが、本当に組体操は実施しなければいけない教育でしょうか?

これだけ事故が多く、死亡するケースも存在するのに本当にやらなければいけない教育でしょうか?

個人的な意見を述べてしまうと「感動を味わってもらう」というのも自己満足に過ぎません。

たかが小学校、中学校の組体操が成功したくらいで誰が感動するのでしょうか。私は組体操に成功して一度たりとも感動したことなんかありません。あんなもので感動するのがどうかしていると思っています。

「こうすれば感動するだろ? こうすればチームプレーの大切さが学べるだろ?」という形で導入されているのが組体操であり、これこそが日本の自己満足教育を明確に体現していると言えるでしょう。

そもそも感動というものは他者から押し付けられて得られるものではないのです。

一体どこの誰が組体操をやりたいと言うのでしょうか。仕方ないから組体操をやっている人が大半ではないでしょうか。そんなに組体操がやりたければ普段からやっています。運動会で組体操を行うというのは「やらされている教育」であり、そんなものに感動なんか存在しないのです。

自分で目標を決め、目標が達成できたときに「感動」は得られます。

学校教育で押し付けられる行事で得られる感動なんか偽物です。

得られたつもりの感動もぺらっぺらで薄いものであるのは間違いないのです。そんな表面だけのどうでも良い感動(組体操でピラミッドが成功したなど)を味わったところで、人として何が変わるのでしょうか。

私は別に組体操がくだらないと主張したいわけではなく、「自己満足的な感動を押し付ける教育」がくだらないと主張したいのです。

主体的に長く取り組み、確かな成果を出せたときは感動できるでしょう。

しかし、何度も言うとおり義務教育の組体操なんか「やりたくもないのにやらされているもの」であり、もっと言ってしまえばわりかし誰でも簡単にクリアできるような組体操が成功して感動を得ている方もどうかしていると思います。

誰にもできないことをやったり、誰もやっていないことをやったりするのは確かに凄いです。それができたら感動モノでしょう。

しかし、学校の組体操というものは「誰でもできるのがほとんど」であり、そんなものが成功したところで本当に感動が得られるのか。私は非常に疑問を抱いています。

こんな怪我のリスクも高いくだらない教育を行うくらいだったら、本当に実になる教育を行うべきであると強く思います。これは今後も一貫して主張し続けたいテーマです。


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