死ぬのは全く苦しくないし、恐れる必要もない

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>差出人: 清水 
題名: いきなり失礼ですが質問です

メッセージ本文:
岡本先生はご自身がいつ死んでしまっても構わないとお考えでしょうか?

 

こういう質問は株式投資とは関係ないのですが、質問内容が大変面白かったので返答させて頂きます。


出典 blog.journals.cambridge.org

実際のところ、人間はいつ死ぬか分からないので私は「いつ死んでも仕方ない」と思っており、自分もいつ死んだとしてもそれは仕方ないこととして考えています。

私自身はいつ死んでも全く構わない(仕方ないこと)だと思っていますが、死ぬ本人はよくても周囲の人々に迷惑がかかってしまうのが問題です。

例えば私が死んだら親が悲しみますし、仕事相手にも迷惑がかかります。

実際の話、私は死ぬか生きるかの経験をしたことがあるのですが、死ぬことなんて全然怖くないんですよ。

よく皆は生きているときに「死んだらどうなるんだろう」と考えたり、「死ぬのは恐ろしい、暗闇の世界だからそれが恐ろしい」と想像したりしますが、あんなのは確実に嘘ですね!

実際に死ぬか生きるかの体験をすれば分かりますが、実際に死ぬかどうか分からないときってその場の記憶がなくなるんですよ。

要するに何があったのか分からなくなるんです。意識があると判断されても本人はそのことを覚えていない。実際にその瞬間、苦しんでいたとしても「苦しいという記憶」が全くないのです。

これは死に近いでしょう。

意識を失った経験がある人は分かりますが、意識を失うと何も考えられなくなって自分が意識を失ったことにも気づいてないので「怖い」という感覚もなくなるんですよ。

要するに死も怖いことなんか絶対にないのです。生きているから死について色々と考えて「怖い」だの、「死んだら暗闇の世界」だの思考を広げますが、死んだら何も感じなくなるから怖いも何もないんですよ。

むしろ生きている方が辛いと思っています。

死ぬというのは生きるという辛さから解放してくれると意味になるため、死ぬことは全然悪いことではないし恐れる必要もないと思うのです。むしろ生きている方が辛いものであり、人生の辛さや苦痛から解放してくれるのが「死」だと思っています。

「そこまで言うならさっさと死ねよ」という人もいらっしゃるかもしれませんが、先ほど書いたとおり死ぬというのは本人が良くても周囲に迷惑がかかるのです。

私にはまだやり残した仕事がありますし、死んだら悲しむ人も存在するため、自分から死ぬわけにはいきません。しかし、病気などになって「死ぬのが確実の状況」になったときはとっとと死にたいと思っています。

そもそも死を悪く考える人が多すぎると思っています。

身内や家族が死ぬと泣いたり悲しんだりする人が多いのですが、本当にそれが正しいのか考えなくてはいけません。長い闘病生活を経て死去したのであれば、「もう苦しまなくて済む」とポジティブな方向に考えることもできますし、死が本当に恐ろしくて辛いものだとは私は思っていません。

逆におかしいと思うのが子供が産まれたときと、結婚式です。

子供が産まれたときは家族や親戚、関係者などが喜ぶのが普通ですが、私にはそれが理解できない。


出典 www.babysitting.academy

子供が産まれるということは、その産まれた子供は今後辛く厳しい人生を歩むことになるのです。その現実に皆気づいているのにもかかわらず、手放しで喜ぶ。賞賛する。まるで生きていることが楽園というように。そんなことは絶対にないのに。

正直な話、子供が産まれたら「ああ、この子はこれから9割は苦しいことばかりの人生を歩むんだろうな……。辛いことや苦しいことが多い世界に生まれてきて可哀想に。今は良いけど、生きていることを後悔する瞬間が絶対にやってくるんだろうな……」と憐れみます。

結婚式もそう。

結婚したらお祝いする人が多いのですが、「結婚は人生の墓場」とも言われており、必ずしも結婚して幸せになるとは限りません。

そうであるのにも関わらず、いや、むしろ苦しむことが増えるかもしれないのにも関わらず、手放しに喜ぶ風習そのものが「おかしいのではないか」と私は本気で思っているのです。

確かに結婚すれば楽しいことも増えますが、苦しいことも確実に増えるのです。その事実を踏まえて考えると結婚は手放しで喜べるものではないのに、皆は手放しで祝福する。そのこと事態が狂っていると私は思っています。思考停止しているのではないかと。

なぜ、「本当におめでたいのか?」と考えないのかと。

こんなことを言ったら批判されることも増えるかもしれませんが、私は本気で死は悪いことだと思っていません。

もし死を悪いことだと考えるとするのであれば、人間は皆最終的に「誰も救われない」という結果で終わるのです。むしろ生きている方が地獄かもしれないのですから。

死ぬのは怖い、死ぬのは恐ろしいと考えるよりも、「死んだら生の苦しみから解放されるし、死ぬのはあまり苦しくないし死ぬのが楽しみだな」と考えるのが建設的ではないでしょうか。

先ほども申し上げたとおり、突発的な死は意外と苦しくないんです。意識が失われますから。意識があって苦しんでいたとしても、本人にはその記憶がないんです。だから苦しくないんです。

死んだら全ての苦しみから解放されると考えれば、生きているときに感じる苦しみや苦痛も受け入れることができます。そちらの方がよほど建設的な考え方ですし、いざというときは死ねば良いだけなんですから、人生も深刻に考える必要はなくなります。

この世には死というリセットボタンが存在しているのです。

そう考えると「死ぬ」というのは人間に残された救いであり、最終的な逃げ道だと捉えることが可能です。死んだら周囲の人が悲しむのは事実。しかし、死んだ本人は悲しいどころか何も感じなくなるので、苦痛から解放される死が「悪」だとは全く思わないのです。

まあ、こんなこといくら私が言ったところで理解はされないでしょうね。本当に一度「生きるか死ぬか」の状況になれば分かりますよ。死ぬのなんて全然怖くないばかりか、苦痛も感じないから生きていることの方が辛いことに気づきますから。

人間は皆必ず死ぬ。それならば、生きているときにやれることをしといた方が良い、生きているときに一生懸命頑張った方が良いというのが私の考えです。疲れたら死を選択すれば良いのです。

私達は死ぬことをもっと歓迎しなければいけない。

いずれにせよ死ぬことからは逃れられないのだから、最終的に訪れる「死」を受け入れて生きていかなければいけないのです!

死を好意的に受け止め、人の誕生を「これから辛いことが多くなるんだろうな……」と憐れむくらいのひねくれ者でなければ株式投資の世界では生き残れないのかもしれません。


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